社会課題解決は、暮らしを感じることから

メッセージ

野菜の値段、知ってますか?

SDGsが一般的になり、社会課題解決のビジネスへの関心も高まっています。

SDGsの資格とか、勉強会とかいろいろと学ぶのもひとつですが、それよりも、いつもの暮らしに向き合うことのほうが、はるかにたくさんの具体的な情報に触れることができるんです。

突然ですが、今日のキャベツの値段、知ってますか?

為替はわかるし、ガソリンの値段もわかるけど、キャベツの値段はさすがにわからないかもしれませんね。

では、いま旬の果物って、何が店頭に並んでますか?

食生活に旬がなくなってきたいま、何が旬の食べ物かなんて、わからなくても仕方ないのかもしれません。

社会課題というのは、遠い世界の、特別な話ではないのです。

私たちの毎日、そのものが社会であり、暮らしです。

ですから、そこにかなりの情報があって、そこからあらゆる社会課題にアクセスすることができるのです。

もしもキャベツが300円であったなら、天候不順も考えられますよね。
気候変動が原因かもしれませんし、産業や生産者が抱えている課題があるのかもしれません。
キャベツが300円になると困る事業者がたくさんいて、代わりの野菜が買われていくかもしれません。

キャベツひとつでも、経済の一旦がわかりますし、社会課題を考えるきっかけにすることができます。

どう捉えるかは、あなたの感性に委ねられています。

「暮らす」が薄れていく、不感症の生活

私たちの毎日は、時間に追われています。
その多くの時間を「仕事」に費やしていることでしょう。
ですがその一方で、暮らしに触れる時間が減っています。

毎日朝に通勤をし、陽が落ちて家に帰ってくるリズムには、生活をほとんど感じることができません。
もしかしたら、朝のゴミ出しくらいはやっているかもしれませんが、日頃から家の中のゴミのマネジメントをしているわけではなく、ゴミ出しの朝に袋に縛られたゴミを運んでいる「運び屋」にすぎない人も多いのではないでしょうか。

また、オフィスでパソコンに向かい、空調の効いた窓のない事務所では、天気さえも気になりません。
コンビニや食堂のご飯では、旬も感じることができません。
ただ私たちは、雨が降れば傘が疎ましく、日照りが続けば汗が嫌がられ、荒天で電車が遅れることを極端に嫌がります。

暮らす感覚が日々消え、都合の悪いことを、避けるように生きてしまっています。

生活者

生活者、という言葉があります。

言葉のとおり、生活をする人で、日々の暮らしを営む人のことをいいます。

私たちが毎日を生きるために、その手立てを考えていくこと

炊事、洗濯、子育てなど、私たちが日々生きていくための活動そのものです。

僕は社会起業家のひとりとして、生活者としての感性を楽しむために、毎日の「暮らし」を意識しています。

朝ごはをつくり、子どもを送り出し、洗濯と掃除をし、畑で野菜を育て、買物にいき、ご飯をつくり、子どもの学校の帰りを待ち、夜ご飯をたべ、風呂に入れ、寝かしつける・・・もちろん、いろいろな仕事をしながら。

暮らしの視点には、無数の社会課題があるので、それがどうにかならないかと考えることが、私にとっての楽しみであり、ビジネスのヒントでもあります。

起業の業という言葉は「暮らしの手立て」という意味があります。

つまり、毎日を暮らし生ていくこと、そのものを開発しているということです。

平日の午前のスーパーは、高齢者が溢れています。
バスに乗って買い物に来る人も多く、惣菜やお弁当などがたくさん売れていきます。

ベビーカー連れのお母さん
歩くのが困難な車椅子の方
ゆっくり歩くお年寄り
などなど・・・

様々な生活者が集まり、暮らしを営んでいる、このリアルこそが社会そのものです。

通勤で家を空けている間に、自動で掃除や洗濯が終わり、
子育て家庭の中で繰り広げられている様々なハプニングも、
何もなかったような姿をしているかもしれないけれど、
片付けひとつも何回転も終え、まるで戦後のような状況だったりすることもあります。

社会感性

僕は、自身が社会起業家として、また社会起業家を支援しつづける最大の理解者として、生活者としてのリアリティと共に生きていくことを選びました。

それは、社会課題を解決していくためには、こうしたリアルな社会の暮らしをしていかなければ、想像の世界で終わってしまうから。
理想は何とでも言えるけれど、原体験として感情を動かして時間をかけて体験していくことがなければ、自分自身の発言が薄っぺらくなってしまうのは目に見えています。

聞いた話ではなく、実践するからこそ、同じ目線で話せることがたくさんあるはずだから。

暮らしが見えなくなり、変化を感じとれなくなり、疑問を持たなくなるのは、きっとカンタンなこと。
こうして東京での25年の繫がりを断ち、畑の中で暮らす名古屋の生活に戻ってきたのも、そうした社会感性が失われそうになった危機感だったに違いありません。

もしあなたが、社会の何かを解決したいと思うなら、暮らしに向き合うことから始めましょう。
暮らしを営むなにかひとつでもいいから、向き合っていくこと。

それはきっと、Well-beingなより素敵な人生と、素敵な社会と未来に繫がるヒントが見つかるはずです。

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