疎ましい雨、めぐみの雨 〜雨が降る日常と、雨が降らない日常。都会と田舎の雨への意識の違い

日々の感性

都会で暮らしていると、雨は厄介でしかない

 

とても疎ましく感じる存在

どうせなら、ずっと降らなくていい

そんなことさえ思ってしまう

 

服は自由に選べず

いつもの電車は遅れ

傘で視界が遮られる

 

雨は予定を狂わせる、迷惑な存在だ

 

雨が生活にどんな影響を及ぼすのか

知る由も無い

水はいつでも蛇口から出て
飲み水は遠くの山から運ばれる

山は誰かが整備し
川は誰かが管理する

大雨で災害が起こりそうになると心配し
雨が降らず水の利用制限が出ると迷惑がる

大雨で野菜は高騰し
雨が降らず野菜が高騰する

 

全て、雨のしわざ

都会での雨は、いつも悪者扱いだ

 

そんな雨も、都会を離れると扱いが変わる

 

作物には、めぐみの雨

 

川に水が流れ
田に水が張られる

作物の水が空から降れば
わざわざ汲んで水やりの必要もなくなる

だから、時々雨が降ることを望む

移動もほとんどが車

だから電車移動ほど雨が苦にはならない

山暮らしであれば、雨が突然降ることだって普通のこと

 

雨が降る、それが日常なのか

雨が降らない、それが日常なのか

 

どちらが基準かで、同じ事を違うものとして捉える。

 

同じ空から落ちてきているのに。

誰にもコントロールできないのに。

 

うちにも今日の夕方、突然、雨が降った。

 

わが家は通り雨が降ると、家族みんなで外に駆け出す。

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そして、空を見上げ、探す。

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虹だ〜!

雨が降った時だけに見られる、楽しみ。

時間を自由に、家族の時間が多いと、こんな感性が喜ぶ楽しみも一つ増える。

特別料金もなく、
行列もいらず、
人工的なエンタメでもない

家族で虹を探す楽しみは、何にも変えがたい時間。

今しか感じられない、人生のタイミング。

私たち家族にとって、めぐみの雨。