多様性
それは多様な人が集まり、1つの軸を持っていることです。
だから、多様という雑多な状態に、1つの軸(方向性)を持つと、多様性という言葉になります。
雑多な状態では、何かを生み出すのに時間がかかりすぎるか、生まれない可能性もあります。
多様性を高めたいという相談を受けます。
多様性を高めたいと思って行動してもうまくいかなかった原因は、雑多な色々な人や物やコトを集めれば何とかなると思いがちだからです。
もちろん集まったものから性質をつけていくことはできますが、できれば、どんな性質にしたいかということから多様な人を集め、性質を高める=目的を達成するという順番が必要です。
雰囲気も同じです。
どんな雰囲気にしたいかということに対して演出を行い、そこに集まってくる人で雰囲気に沿った人が集まるのです。
集まった人で出る自然の雰囲気は、意図した雰囲気ではありません。
当事者は自然に雰囲気が出たと勘違いしていますが、それは、何かの演出によって出た雰囲気なのです。
→演出が雰囲気をつくり、文化を作る ~毎年1000人のボランティアが全国を行き交う仕組みづくり
人はその雰囲気にも慣れると、やはりまた異なる演出が必要になります。
多様性がなくなると、どうなるでしょうか。
マンネリになり、ワクワクは失われ、面白そうだと感じる人は、その雰囲気から抜けていきます。
いつも同じ顔があり、いつも同じ雰囲気がある場所では、つまらないのです。
ワクワクする人は、琴線に響くような体験を求めています。
多様性の高い場所というのは、あるテーマに集まった様々な人が持っているバリエーションが豊かな状態なので、自分の想定外の人にも出会い刺激を受けることができます。
ですから、様々な癒合も起き、可能性も格段に広がります。
もちろんイノベーションも生まれます。
東京を離れると、東京だけが異常なほど、多様性が高い地域だということを実感します。
もちろん、世界でみれば日本の多様性は低いのですが、それでも東京は地方の人の集まりで、リスクを背負い、勝負をしている人が多くいるので、競争もそれなりにあります。
世界からみれば、この東京でさえも多様性が高いとはいえないほどですから、東京以外はもっと多様性が低いのでしょう。
むしろ、ど田舎のほうが、誰も関与しないからこそ自由にできる環境から、面白い活動が生み出せている気がします。
多様性を高めるためには、それなりの段取りが必要です。
演出や雰囲気、仕組みや新陳代謝も必要でしょう。
私が代表を10年で退いたのも、経験が多様性が低下するからという理由です。
最初は多様性が高くとも、同じ状態では多様性が低くなっていくのです。
イノベーションも日常に変わるように、人は慣れるのです。
人の五感は慣れるのです。
感動の味にも慣れ
鮮やかな色にも慣れ
新鮮な音楽にも慣れ
すごい肌触りにも慣れ
ステキな臭いにも慣れ
慣れるというのは、想像力が欠如することです。
何とも思わなくなり、違うものを探し始めるのです。
今、都会から地方に人が流れているのも、地方が新鮮に感じるからです。
若者やイノベーターは、ワクワクするところに移ります。
私も1年が経ち、東京とのギャップに戸惑いがありますが、その感覚はとても大切だと思います。
私も日常に慣れないように、意識をしてゆかなくては、と、、思う日々です。