切れ味の悪い包丁で料理をしていると、なんだか気分が乗らない。
包丁の切れ味という、そんな繊細で微妙な感覚に気持ちが変化していることを思うと、人間の感性とは面白いものだなぁと、つくづく思う。
感覚には軸があって、その軸は常に変わっていく。
直前に何があったか、後で何があるのか
久しぶりなのか、いつものことなのか
集中しているのか、上の空なのか
ほおっておくと、感覚というセンサーには埃がかぶって、感度が悪くなる。
あるいは、酷使をしても、感度が鈍くなって反応しなくなる。
人間とは、環境適応の動物だから、すべての環境に慣れようと軸を変える。
慣れたことに気づかないでいると、軸が変わったことにも気づかない。
かといって、感覚に過敏になっても困る。
拒否反応やアレルギーが発症してしまうのも、厄介だ。
感覚は、ときどき、整えなければならない。
包丁研ぎは、感覚を整えるのにピッタリだ。
片面を研ぐと、刃が削れて反り返るのを、指の腹で確かめる。
反対側を研いで、その反り返りを削ると、また反対側が反り返る。
刃を指先で少し触りながら、刃の微妙な切れ味を確かめる。
どれだけやれば切れ味が変わるのかは、わからない。
ちょっとした確度の差と、ちょっとしたチカラの入れ加減でも、切れ味が変わる。
感覚に向き合うことが、感覚をととのえる。
包丁とぎが、私を、ととのえる。