子育ての期間、親は子に何ができるのだろうか
子育ては、一時期のこととはいえ、数年間もの時間。
「終わってしまえばあっという間」というけれど、その間に余裕などほとんどないことも事実。
あれよあれよと、時間だけが過ぎていく・・・
子育ての期間、親は何ができるのだろうか。
どの親も、「自分の子には特別な時間にしてあげたい」と考えることでしょう。
特別な時間の先にある、子どもが大人になる世界。
その世界の描き方によってその特別な時間の捉え方が大きく異なります。
私なりに捉える、その「特別」な時間。
心身ともに健康で、
前向きに生きることが自然に生まれ、
何かあってもなんとかなると思えるような
そんな大人になればいい。
そのために必要な特別な時間は、
たいしたことじゃないほど、特別と言えないようなこと。
でも現代では、特別になってしまったこと
私はそう考え、今の捉え方を大きく変えました。
そんな私の生活を見て、「子ども好きとか育児が趣味」かのように言う人もいますが、実はそうでもありません。
私は、子ども全般が好きかと言われると、あまりそうではないです。
育児が好きかと言われると、それよりも好きなことはたくさんあります。
子どものためにやっているの?と言われると、そういう気もありません。
ただ、、、経験上、思うことがあります。
自分の人生の中で、何か目の前に訪れた機会は、
それにちゃんと向き合い、集中することで、
いつか何か「自分のため」になるんじゃないだろうか
大変だけれど、大変だと言っていても、解決しないし、
子育てされている側(子ども)が、大変だ大変だ・・・と言われても困るだろうし。
だったらいっそのこと、、、、
期間限定で育児を中心にしてしまって、
強烈な制限と負荷の中をくぐり抜けたなら
その後の人生はきっともっと広がるんじゃないだろうか。
そんな捉え方で、私自身が選んだ生活スタイル。
それはもう、ライフスタイル・イノベーションと呼べるほどの大変革。
でも、やろうとしている理想は、
高度な教育指導でもなく、プログラミングでもなく、英語漬けの海外移住でもない、
最もシンプルな子育ての生活。
大したことじゃないけれど、
なかなかできない
そんな、私の育児で大切にしたいと思って実施している、子どもに伝えたい5つの大切なことについて書いてみたいと思います。
子どもに伝えたい5つの大切なこと
1.家族で、一緒にご飯を食べる
わが家は、一週間の7日のうち、6日は朝食と夕食と一緒に食べます。
1日は、終日の出張か夜の会食あたりが入る感じです。
ここは名古屋ですが、東京あたりであれば、日帰りで往復します。
ご飯を一緒に食べること
これは、家族の基本という人もいるくらい、最も基本なことかもしれません。
家族以外で、毎日顔を合わせてご飯を食べることは滅多にありません。
むしろ、家族以外の人で毎日ご飯を食べていたら、まるで家族のような感じも出てきます。
ご飯を食べることで、わかることがたくさんあります。
わが家の夕食は、夕方5時台で、6時に食べ終わります。
食事はほとんどが家で、夫婦のそれぞれか一緒に作ります。
野菜のほとんどは家の前の畑で育てて採れたもので、
畑も子どもたちと一緒に種まきをしたり収穫をしたりします。
その野菜達が調理されて食卓に並ぶというのは、子どもにとっても楽しいことです。
食べるとき。
ラジオはついていますが、テレビはもちろんついていませんし、携帯も触りません。
みんなで、内容、食欲、今日あったことなどを話しながら食べます。
とはいってもあまり厳しいことは言いませんが、食事の時にちゃんと食べることを伝えられるような気がします。
「食べる」ということをしっかりできれば、きっと生きていけられるような気がします。
ちゃんと食べる
食べることに、どう向き合うのか
みんなで野菜をつくり、調理して食べ、野菜くずをコンポストボックス(堆肥作り)に入れて、土に還るところまでを見せる。
食べることの全体を知ることは、いまどきの言葉でいえば、本当の食育じゃないかと思うのです。
2.たくさん、おもいっきり遊べる時間をつくる
関東圏から移住したことの一つに、子どもがおもいっきり遊べる時間を作ろうと思ったことです。
マンション暮らしだったころは、走り回る子どもを叱り、下の階に気を遣い、それでも苦情も受けました。
周囲も交通量がそこそこあって、道路も危ない状態です。
公園はあっても、かなり狭く、砂場すらありません。
平日は誰も遊んでいない状態で、休日はギッシリです。
人が多いと、制限しなければならないことも多くあり、いろいろな禁止の立て看板がそれなりに立っています。
遊ぶことに制限をしなければならない状況
しかも、自分じゃない誰かの気を遣って・・・
子どもは遊ぶことが、すべての学びの原点。
遊ぶ以外に、何をするのでしょうか。
そこに制限がたくさんあったなら、やっぱり遊ぶことで十分に学べることも少ないと思うのです。
多少の危険や、居る人達での自主的な制限やルール。
そういった、明示されない中で人間関係をうまくやっていくこともまた、大人になるための大きな気づきです。
走ってもいい
投げてもいい
登ってもいい
全部、自己責任でやればいい
家で大きな声で楽しむことも、
どんどんと走ることも、
止めることもありますが、
本人の学びのためにするのはいいですが、
毎日、コソコソ・ヒソヒソと遊ぶのは、まるで遊ぶことが悪いかのようです。
ちいさいうちに、制限して遊ぶことはなかなか難しいものです。
だから、しっかりと遊んで、徐々にいろいろなことがわかっていけば良いものです。
いずれ、家の中を走ることは、なくなるでしょうから。
3.たくさん、自然と戯れる時間をつくる
自然の中で育児がしたいという人は多くなっていると思います。
でも私は、山の中で子育てがしたいと思ったことは一度もありません。
やっぱり不便だし、そこそこでいい。
仕事で人と会うことだってあるし、新幹線に乗ることもあります。
そこそこの田舎、というのは日本全国にあります。
そういう場所で、自然と戯れながら過ごすことは十分にできます。
畑で野菜を育てていると、いろいろなことが起こります。
虫もいれば、天候の影響も受けることもあります。
そんな自然と共存し、あるときは防衛し、うまく調整しながら生きている姿
そんなことを一緒に感じながら、日々を過ごします。
夏は、毎日のようにセミ採りです。
今年は、ザリガニ釣りも、カマキリも。
正月じゃなくても、凧をあげて、風と遊びます。
空を見上げて雲を追いかけ、
夕陽を見て色の数を見つけ、
雨が降れば虹を探します。
特別な場所じゃなくても、自然が織りなす壮大なアートと
教えてもらわなくても発見できる機会
感性が動き、感動が心を動かす
親が教えられることなんて、気づかせてあげることくらいですね。
4.たくさん、体験を共有する時間をつくる
私たちには、「休日にレジャー施設に家族で遊びに行く」といったライフスタイルはありません。
休日だから遊ぶ、休日だから一緒にいる、特別にどこか「遊べる場所」に行く
特別な場所に行くことは時々は、あります。
でも、それ以外の平日の時間に一緒に遊べていない代わりに用意されたものではありません。
レジャー施設や遊園地、特別な体験施設などに行かなくても、日々は素晴らしいエンターテイメントが無料で転がっています。
私は朝、2人の子どもたちを送り、そして子どもたちを迎えにいきます。
大変といえば大変ですし苦だという人もいますが、私はとても楽しい時間です。
自転車で送る間、田んぼや畑、木々や空のことを話しながら向かいます。
帰りも、今日あったことを聞きながら、家に帰ります。
一緒に遊ぶ時間がそれほどあるわけではありませんが、一緒に過ごす時間はとても長いです。
家に帰ってきたら畑を手伝ってもらうこともあれば、買い物に一緒に行くこともあります。
包丁を研いだり、掃除をしたり、免許の更新にも連れていきます。
食事は家族で一緒ですし、2人の子どもを風呂にも入れます。
そしてみんなで一緒に寝ます。
時間の共有は、体験の共有
大人の体験に一緒について行くことは、社会を見ることになるでしょう。
家事を一緒にすることは、生きていくことを学ぶ時間でもあります。
誰かが知らないうちにやってくれることも、やってみることが大切です。
結果よりも仮定、見えるところよりも見えないところが、大切じゃないかと思うのです。
プロセスがない限り、目的地にはたどり着かない。
体験を共有しながら、子どもに考えさせることで、子どもは自ら考えるようになると思います。
いずれ、自立をして話をしなくなることもあるでしょう。
でも今は、話を遮ってまで話をしてきますから。笑
会話と体験の量は、未来の子どもの自立と、親の自立(子離れ)にも繋がるんじゃないかと思います。
5.たくさん、寝る時間をつくる
わが家の就寝は、夜の9時。
子どもは10時間以上寝ても大丈夫というくらい、睡眠は大切なことのようです。
うちの子たちは、二人とも3歳くらいまで、2-3時間おきに起きていました。
それが2人続いたので、私たち夫婦はもう6年間、ちゃんと寝ていません。笑
ようやくそれなりに寝てくれるようになりましたが、今度は子どもの寝相が悪くて起こされます。笑
陽が落ちたら寝て、陽が昇ったら起きる
できるだけ、正常なリズムをつくることを子どものうちからやっておくことが大切という話も聞きますが、それは大人も同じですね。
家族で一緒に寝るということは、寝ることへの大切さをみんなで共有しているのだと思います。
寝るという休む時間は、食べる次に大切なこと。
毎日は繰り返されますから、心も体も、リセットすることがとっても大切です。
寝る、食う、遊ぶ。自然と共に、みんなで一緒に。
親が伝えられることって、何だろう
一緒に生活をしているからこそ、伝えられることがあるのだと思います。
生活そのものを、どう伝えていくか
ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、ちゃんと遊ぶ。
自然と共存していることと、人と共有できること。
それがわかれば、きっと大丈夫。
現代は、当たり前のことを、当たり前にすることがとても難しい。
生きる基本を伝えられる時は、ほんの一瞬しかない。
その間、家族の姿を見て、どこか見よう見まねで育つ子どもたちにとって、親ができることは、その大切さを実践して生きている姿を見せるしか、やれることはないんじゃないかと思います。
学ぶの語源は、真似る
親は立派に生きる必要はなく、
子どもを立派にしようと思う必要もなく、
ただただ、
ひとつひとつの生活に向き合って丁寧に生きていく姿を見せれば、それでいいんじゃないかと思うのです。
私たち親ができることなんて、ほとんどない。
できることは、子どものリズムに合わせて生活をしていくことくらい。
特別なことは何も必要ないと思うのです。
いずれ、子どもは自我が発達し自立していくことでしょう。
どうせいつか、無茶をするでしょうし、何かの限界を超えてしまうこともあるでしょう。
でもそんな時に、生活というリズムの中で染みついた、基本的な生きることへのリズムがうまく本人を調整してくれるはずです。
疲れたら、休めばいい
食べると、元気が出る
とことん興味のあることをすればいい
困ったら話せばいい
止まない雨はない
雨が降ったら虹がかかる
人生の中ではとても短い時間。
その時間で一緒に作ったリズムに、いつか困ったら戻ればいい。
そんなことを思い、子どもと一緒に日々を過ごしています。