子育てはハンズオン。親の学歴意識が子どもの生きぬくチカラを弱める ~学校や塾に子どもの未来をアウトソースする親に伝えたいこと

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高校生の時、大学に行く理由が見つからなかった

私は、名古屋市立の小学校から中学校、そして愛知県立の高校を卒業しました。

いわゆる普通科と呼ばれる学部ですが、今を思えば、

普通科って何科なんでしょうかね。。。

不思議な科目ですよね。

普通って・・・じゃあ、普通じゃない科目って・・・笑

中学校までは指定学区の”普通”の学校でしたし、高校受験も何の疑いもなく”普通科”を受けました。

当時は共通一次試験というものがあり、時代や土地柄もあって、大学に行くのが当たり前という状況でした。

大学に行かないというのは、
社会から外れたドロップアウト組、
将来がないよ・・・

こんな一般常識で、大学進学という同調圧力がすごく、進路指導などもどこか脅迫めいた雰囲気もありました。

大学を選択しないというのは、普通じゃない、、。と。

そんな中、私は当時音楽ばかりをしていたので、まあ仕方なくでも大学に行くなら芸術大学か音楽大学と思っていました。

幼少からピアノを始め、当時はサックスの演奏者。

でも、いわゆる5教科は苦手で、特に国語と英語が苦手でした。

どうせ行くなら一番上の大学に行きたい、しかもできればお金がかからないような国公立で・・・と安易に考えていましたが、あえなく共通一次試験で足切り。

そこで、国立音楽大学(こくりつ、ではなく、くにたち、という私立大学)を受けました。

当時は新しい学科が出来たのでそこを受けてみようと思い、初めて一人で東京へ。

そして受検。

すべての評価がAだったにも関わらず、入学は叶いませんでした。

大学にどうしても行けというなら、
音楽ができて東京に行けるなら、、、と英語も頑張ったのに。。。なぜ?

当時は大学進学人気でどこも定員オーバーだったこともあり、また、芸術系ではよくある「先生とのコネがなかった系」か・・・と勝手に想像をしていました。

世間的には、大学入試失敗者

浪人生?

それとも、ガテン系で働くの?

そんな悲壮感に包まれていました。

大学進学以外の選択肢を誰も持っていないので、次のカードは・・・「浪人で大学進学を目指す」という選択以外がなかったのです。

翌年受けるかどうか・・・・僕にはどうしても大学に行く理由もなかったので、1年棒に振って浪人をするほどの価値を感じられなかったのですが、、、、親は来年受けさせるつもりでした。

3月のある日、僕はドリカムのコンサート会場で、後ろでPAをしている人を見て、こんな商売があるんだと知り、調べ、専門学校に入学案内の申込みをしました。

親は大反対。

大学に行かない?しかも専門学校?で、東京!!??

まあ、ありえない選択です。

そこは強行突破しつつ、そして、3月30日合格発表という第三次募集のギリギリで合格をして上京をしました。

周囲や親からは、

専門学校?
ましてや、東京の?
音響って食えるの?

と囁く声が毎日。

でも私は、この大学進学と地元就職という同調圧力の強い名古屋を出ることを心のどこかで決めていたので、正直、音楽関係ならどこでも良かったのかもしれません。

当時は専門学校も人気で、第三次募集で80人が受験し、受かった3人のうちの一人でした。

やっぱり大学に行かなくて良かった、と思えたとき。

高校を卒業し上京してからすぐに起業をしてしまったので、就職活動もありませんでした。

でも、音楽をする人はアウトローな人も多かったので、音楽歴は聞かれても学歴を聞かれることはありませんでした。

なんだ、学歴なんて関係ないんだ

私は音楽制作などの仕事をし、楽器開発のアドバイザーなどをして18歳にして個人事業主をしていたのですが、その間で大学に行っていなくて困ったことはありません。

むしろ、大学に行ってないことを自分のウリにして、

高卒ですが、何か?
(実際には専門学校卒業)

と言って、低学歴(笑)であるにも関わらず社長をしているという自虐的なギャップのアピールで覚えてもらうための掴みに使っていました。

しかも金髪にして、第一印象の評価を最低まで下げていました。

(あとは上がるしかないので。笑)

私がちょうど20歳の時、いわゆるバブル(不動産バブル)が弾け、経済が停滞し、就職難の時代が始まろうとしていました。

高学歴であってもリストラに遭い、困っている大人達が溢れかえっていました。

むしろ、大学に行ってたら、卒業の頃にはそんな氷河期真っ最中で、路頭に迷ってたかもしれない・・・

やっぱり僕は、大学に行かなくて良かったんだ

と確信したのを覚えています。

公務員の父も大学に行くことが当たり前と思っていたので、起業した私を見て驚き、その本能的な判断(偶然ともいう)に感心してくれていました。

それでももちろん、いわゆる学歴差別のようなことは何度となく受けました。

高卒のくせに
大卒じゃないから

と。

でもこう思ったのです。

大学がそんな差別を教える場所なら、本当に行かなくて良かったよ。

あなたのような学歴差別する人は、卒業した大学や卒業生が可哀想でならない。

と。

反骨精神で社会と戦うミュージシャン(当時)としては、それを歌にしたこともありました。

学歴を聞いてしまう理由、気にしてしまう理由

学歴を聞いてくる人は、どんな意味を持っているのでしょうか。

頭の良さ?
育ち方?
共通項?
能力?

聞いたところで、何も関係ないですよね。

いろいろな学生がいるわけですし、全員が異なるわけで。

なのになぜ、学歴を聞くのでしょうか。

みなさんは、外国人の人に、学歴を聞いたことはありますか?

聞いたところで、わからない。

だから、聞かないですよね。

つまり、気にしてないんです。

でもなぜ、日本人には聞くのでしょうか。

それは、そこに何か指標があるからです。

ちなみに私は、大学の偏差値やレベル感というものを全く知らないので、聞いてもわかりません。

どこの(場所の)高校や大学を出たかを聞いて、話しづらそうにする人もいますが、私は場所を聞いているだけで、その学校の持っているイメージがわからないのです。

逆に、「どうだ」と言わんばかりに学歴を言う人もいますが、その人にも反応できません。笑

一般的には、大学には偏差値などがあり、大学のイメージがあります。

また、いろいろな人に学歴を聞いているので、過去のそういった人とイメージを合わせて、目の前の人を推察しているのです。

はっきりいって、バカげてますよね。

学歴は、むかし着ていた服のようなもの。

「自分は昔、革ジャン着てました。」

って言っているのと、私には変わりません。

40歳を過ぎて大学に入学

起業してからというものアウトプットばかりしていたので、そろそろ次の段階に移るためのインプットがしたいと思い始めました。

そんな時、思いっきり走り抜けていたちょうど時に、ちょっとしたキッカケで休みをとるタイミングがやってきます。下の子も生まれたこともあり、しばらく充電期間を取ることになりました。

私は経営のスキルというものを、実践でしか身につけていません。

だから、偏りもあれば、理論も穴だらけ。

うまく言いくるめることはできますが、十何社もの起業や経営に携わり、若手の起業家を支援していく中では、「もう少し良い伝え方がないものだろうか」と考えていました。

何か体系立てて話をする方法・・・
たとえば理論などはまとめられているだろうし・・・
そういえば経営も学問になっていたなぁ。。。

と、ようやく学問を学ぶという方法にたどり着きました。

「高校をして大学受検をする」という、一般的な大学受験タイミングから遅れて20年後のことです。

ある恩師が

「高卒でも関係ないんだけど、世の中は大卒基準になっていることも多いので、何かしたい時に条件が合わなくてできないってこともあるから、何かタイミングがあったら出ておいてもいいかもね」

という10年以上前に聞いた話を思い出しました。

卒業してから話したら、その恩師は言ったことを忘れてましたが。笑

そして私は大学を調べ、あと2週間で締め切りというタイミングで大学を見つけ滑り込みで入りました。

子どもを抱え育児をしながら、毎日勉強と定期的な試験・・・久しぶりの鉛筆での筆記に、手が腱鞘炎になりました。(笑)

大学の講義・・・私にとっては、これまでの20年以上の経営で実践してきたことが、これほど端的にまとめられているということにビックリしました。

読むもの全てがこれまで実践してきたことの「まとめ」で、それらを概念や系統立てて説明されているのを見て、感心しっぱなしでした。

こうした学問に生涯をかけている人って凄い!と、とても尊敬の気持ちでいっぱいです。

社会人が通うプログラムだったので、年齢も経歴も他の人からすれば異星人のような存在だったと思います。

こうして大学を無事卒業し、20数年遅れで「大卒」となったのです。

とはいっても、特に履歴書には書くことはありませんが。。。。(笑)

大学に行った/行かなかった、そこに価値はない

大学が定員割れを起こす時代です。

私たちの頃は、行きたくても定員オーバーで行けない時代でした。

行きたいところに行ける環境は、とても羨ましいです。

大学に行く意味がないか?と言われれると、そうではないと思います。

行かないとわからないこともあれば、仲間もつくれますし、専門知識も身につくでしょう。

でも、「大学に行く」という行為には何の意味もありません。

行く理由は?
行って日々何をする?
行った後にどうするの?

高校生でそんなことを考えられるか?といえば、少なくともそれは僕には無理でした。

でも、それが考えられていたら良かったなぁ、とは思うのです。

だから高校生でキャリア(将来どのように働くのか)のことを考えることは大切だなぁと感じています。

それに、

自分が何がワクワクするのか
自分は何が得意なのか

ということを知れる機会、それを広げられる機会をが最も大切なんじゃないかと思います。

私は少なくとも、そのワクワクや得意をなんとなく感づいていました。

でもそれを具体的にすることもなく、また具体的にしたところで何にどう結びつくのかは誰にもわからないことです。

だから、

大学に行くことで広げられた可能性
大学に行かなかったから広げられた可能性

の両方があるでしょうから、最終的にはどちらでも良いと思うのです。

「大学ありき」の時代はすでに終わりを迎えつつある中で、あえて40歳を越えて大学に行こうと思ったこと。

それが、将来どんな可能性に繋がるのか考えるだけでワクワクしています。

子育ては、ハンズオン ~今を生きる親に意識してほしい、ライフスタイル・イノベーション

自分の子どもには、自由に選択をさせるつもりです。

それは高校だって、あるいは小学校だって、本当にいく必要がないと思えば、行かなくていいと思います。

生きていくためのスキルは、学校じゃなければ学べない?

そんなわけありませんよね。

むしろ学校以外にあるものです。

仮にわが子が登校拒否で学校に行かなくなったとしても、仕事で社会で活躍するような大人になれると思います。

一方、学校に行ったところで、それが保証されるわけじゃない。

そう信じている人もいるでしょうが、現実、そんなことはありえません。

学校が信じられないからといって、塾にアウトソースしている人もいますが、お勉強が出来たとしても、生きぬくチカラは教えてくれません。

だから、学歴なんて、関係がない。

一般的な親は、知識を詰め込ませ学歴をつけさせようと必死です。

なぜなら、自分自身が生きぬいて行くチカラがなく自信がないのかもしれません。

一方、私が自信過剰なのかといえばそういうことではなく、むしろ役割的に石橋も叩くことも多いのです。

自分だけ技術をつけて、
自分だけ賢くなって、
自分だけお金持ちになって、
自分だけ幸せになって、

それでも、この世は自分だけのチカラだけでは動いていない。

過去から未来へとある時間の中で、

広大な宇宙、そして地球で、55億人の人と何百倍もの生命と生きる中で、

たった100年近くを生きぬいていくこと。

そこにはもっと、生きぬくための原理原則があるはずです。

たった、一つの学歴というラベルで、人を評価できるものではないでしょう。

そしてそれは学歴だけじゃなく、あらゆる多様な人や生き物が住む中で生きる私たちにとって、偏見やレッテル、社会風潮や思い込みに左右されることなく、お互いの違いや個性をうまく活かしていくことなのだと思います。

そうやってお互いの関係づくりができれば、きっと、社会で路頭に迷うことはないはずです。

全員が同じだったら、きっと人類はすでに滅びているでしょう。

お互いに役割がないのですから。

そんな現代の親に意識してほしい、ライフスタイル・イノベーション。

それは、

学歴という神話は存在しない

そして、

学校は、社会を生きぬくためのスキルをつけてくれるわけではない

親が求める学歴を押しつけない

親ができることは、ハンズオンのみ。

という意識改革です。

ハンズオンというのは、経営支援などでよく使われる言葉で、

いつも手を添えておく

という意味です。

後ろから、

いつでもここに居るよ

ということを伝えるだけです。

相手を意のままに動かしたり、コントロールするものではありません。

「ハンズオン」を勘違いしている人が多いのですが、コントロールではないのです。

よく子どもたちのサッカーの試合などで、外野から怒鳴っている親がいますが、家でサッカーゲームでもやっていて欲しいものです。

登校拒否になったところで、学校に無理矢理行かせたいのは、親の都合です。

世間体、学歴不安、子どものせい、学校のせい、自分で子どもを社会人にさせるのは無理・・・

いろいろと、困るのですよね。

「自分の育て方が悪かった」と自分を責める人もいるでしょうが、そんなこともありません。

一方で、子どもを自分の理想通りの作品を作ろうとしていることもあります。

まるでペットか盆栽を育てるように、まるで学歴を勲章のように集める、過干渉な親もいますよね。

子どもは言うなりで、意志はなく、自分で決められない=親の言うことを良く聞く子になっていますね。

学歴主義(&子どもの就職先)で子どもをブランド化させて自分のアイデンティティを保とうとしている親を見ると、子どもが可哀想でなりません。

私はそうした社会風潮や同調圧力がイヤで、家族で都会を離れました。

学歴でしか人を評価できず、自分より下の人を見下す人に出会うと、「きっとこの人の親は学歴主義で育てたんだなぁ」と、なんだか可哀想になります。

それしか評価軸がないのですから。

子どもの生きぬくチカラを育てるというのは難しいかもしれませんが、ハンズオンで「いつでも引き受ける覚悟だけ」が必要なのだと思います。

大きな意識改革が必要ですが、そういう親の姿勢が、子どもの意志を育てるのだと思います。

本田創業者の本田宗一郎さんも、こう残しています。

学歴よりも愛される術を得よ

人間にとって大事なことは、学歴とかそんなものではない。
他人から愛され、協力してもらえるような徳を積むことではないだろうか。
そして、そういう人間を育てようとする精神なのではないだろうか。

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