時間の余白が価値を生む ~1時間に1本の電車が、私に時間の使い方を気づかせてくれた

時間の余白が価値を生む ~1時間に1本の電車が、私に時間の使い方を気づかせてくれた アントレプレナーシップ

25年も東京近郊で住んでいると、便利に浸かって、それが当たり前になります。

 

家は10回ほど引っ越しましたが、

 

都心から近い
電車の本数が多い
駅から近い
コンビニが近い
スーパーが近い

 

など、自分を中心に、近い&多い事ばかりが条件になります。

 

数分おきに電車が来るのは当然、山手線はラッシュ時に時刻表はなく「2〜4分おきに来ます」としか書かれていません。

 

東京のコンビニはおよそ7200。駅から家まで歩く間に2~3個あるのは当たり前な量です。

 

 

そんな便利な世界を抜け、地方へと移住しました。

 

そして、時刻表を見て当初は愕然としました。

 

 

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間違い探しのようなバスの時刻表…

 

時間の余白が価値を生む ~1時間に1本の電車が、私に時間の使い方を気づかせてくれた

 

 

ラッシュ時でも電車が1時間に3本しか走りません。

 

 

うわー、不便だなぁ…

 

第一印象はそう思いました。

乗り遅れたら大変だ。。。

乗り遅れたら、バスなら1時間後、電車なら30分後です。 大遅刻です。。。 でも、遅刻を電車のせいにもできません。

でも1年も過ぎると、何も気になりません。 そもそも遅刻をしなければ良いだけですから、時刻表に合わせて行動すれば良いのです。

 

時間の無駄が起こる!?

すぐに時間の無駄を考えてしまいがちです。

でも、やることはたくさんあるはずですから、その時間を有効に使う方法を考えれば良いのです。

最初は、その隙間時間にコトを詰め込むことをしていました。

でも最近は、少しゆっくり歩いて移動したり、早く着いて周辺を歩いて、目的とは違う情報収集や刺激を取り入れたりしています。

こういう時間って、とっても必要だなぁ

なんでもかんでも時間に詰め込んでいき、効率を追求する時間の使い方をしていると、創造性が失われます。

効率というのは、前提が違うと追求する方向性も変わるので、効率化には終わりがないのです。

究極、目的さえ達成すれば後はどうでもよい、という結論にたどり着くので、自分の都合の良さに周囲を合わせようという傾向になるのです。

昨日、打合せから家に帰る時のこと、 バスに乗ると50分で着くのですが、これがとても長く感じました。

そして、乗り換え案内で調べると40分後に近くの駅に着きます。 でも歩いて10分なので、結果的にはほぼ同じです。

よくよく検索結果を見ると・・・ 最初に電車に乗るまでに19分待ち、電車に3分乗って、乗り換えで9分待ち、電車で9分乗り、そして家まで10分歩くことになっています。

つまり、速い電車に12分だけ乗って、あとの38分は立っているか歩いているかなのです。

速い電車に乗っているので、どこか効率的な感じもあるのですが、実際には50分乗っているほうが、時間を有効に使えます。

何か想像をしたり

やることを思い出してメモやリストにしたり

本を読んだり

音楽を聴いたり・・・

健康面では歩いたり立ったりするのは良いかもしれませんが、私の場合、地下鉄3~4駅、30分くらいなら歩いてしまうので、それもあまり関係がありません。

便利というのは、かえって時間を浪費してしまうことさえあります。 時間の余白が、何か価値を生み出すきっかけになることさえもあります。

今は、1つ1つのミーティングの時間の間も、かなりの余裕の時間をとっています。

晴れていれば、移動も歩いて行きますし、歩いているとイベントがあったり公園で花が咲いていたりと、楽しみが増えます。

隙間のない時間は、1つの時間の狂いが後の時間に影響してきます。

そのことで色々な人に迷惑をかけることもあるでしょうし、隙間時間で打合せの振り返りや落とし込みをすることも大切なので、詰め込むことが効率的であるともいえません。

時間にコトを詰め込む効率化で、


時間は有効に使えない

効率化より有効化


(価値を生む時間に変える)

時間の捉え方が変わったことで、心にもゆとりができたように思います。

1時間に1本の電車が、私に時間の使い方を気づかせてくれたように感じています。