私の感性が生まれ変わるほどの経験をした地球一周。
その瞬間は、ただただ、その状況を受け入れていただけですが、思い返せば、地球一周をした経験は、感性に大きな影響を及ぼしたように思います。
地球という規模をイメージできますか?
誰もが理屈ではわかるはずです。
宇宙からの映像でも。
でもそれを、感覚として持つことは、地球一周しないとできないことの一つです。
飛行機で空を飛ぶのではなく、陸や海の上、、、地球の表面を辿って一周する事で、身体がその規模を理屈抜きで実感させます。
太平洋の横断には1週間かかります。
360度水平線しかなく、
船の長さの何倍もの波に小舟のように揺られます。
私たちの存在は、とてもちっぽけです。
わかっているようで、実感はなかなかできません。
自然と対峙すると、その大らかさと厳しさを実感します。
私たちの命など、自然の中ではちいさなもの。
道を歩いても気づくことがないような蟻のような存在。
そして、地球という規模で、一つの生命の循環が、絶妙なバランスで保たれているということ。
海を覗いても、空を見上げても、それはあまりに大きい存在。
人が知りえている事に過信をしてしまうけれど、
実際にわかっている事は、ほんの少しだけ。
科学で解明され言語表現できることは、ほんの一部だということです。
人間が発展する上で、多様性を排除する事は必然だったと思います。
動物はそんな事を考えはしませんから、本能では生き抜くことであり、そのための知恵です。
しかし人間は、想像する事が出来るようになったので、現実でないことも現実かのように錯覚することができます。
そうやって、都合よく地球を支配した(できた)気になったのでしょう。
経済性で優位に立てば、偉い人や豊かになれると勘違いしたのでしょう。
一歩その環境から抜け、地球を規模で見れば、自然と共に暮らし、未だに戦争が起こり、人が人として生きることができないような環境もたくさんあるのが現実です。
特にこの数年で、現実の私たちの環境や状態に気づいた人が急激に増えたように感じます。
一方で、全くその逆の人も増えた感じも受けます。
この両者の距離は、どんどん広がるばかり。
地球一周から15年。
今でもその感覚は感性となって私の中で大きく存在をしています。
私たちの命は有限で
命は連鎖のなかにある
地球という環境に住み
一つの生命体として地球が存在している
全ては循環の一部であり
全ての活動はあらゆる未来に影響する
人の存在はちっぽけだけれど
大きなチカラを持ってしまった
そんな勘違いで調子に乗っている
世界を救うとかそんな大義はいらないから
それぞれが、イキイキと持っている時間を過ごし
今の時代を責任持って生きること
その事に気づける感性が必要
だと思うのです。
みんなが地球一周できるわけじゃない。
だから今日も、私と会うひとりひとりと、全力で楽しみ感性を育める関係を作りたいと思って、毎日を生きています。