段取りというと、効率を求めるようなイメージがあります。
しかし、すべての段取りが効率を求めるわけではありません。
効率というのは無駄を省くこと・・!?
そんなイメージが強いですよね。
無駄というのは悪だという印象があります。
もちろん効率を優先すべき時はありますが、だからといって無駄がすべて悪かというとそうでもありません。
たとえば、私自身は正解のない仕事がほとんどです。
正解がないので、ゴールを定義するところから始めなくてはなりません。
ここで効率を優先すると、表層的な見えるものばかりを集めて、解決した気になることが多くあります。
時間を最優先すれば、見えるものを集めるしかありません。
本当のゴールを定義するためには、見えていないものを集めなければなりません。
見えていないものを集める時には、効率というものを優先することが非効率になることが多くあります。
たとえば、アンケートなどで情報を集めるたら、きっとYes/Noでパーセントは出るでしょう。
数値化、可視化によって合理的に物事を進められるかもしれません。
しかしアンケートというのは質問の仕方で誘導されますし、人によって捉え方もあり、一方通行の質問と回答なので、本質を見つけることが難しいのです。
実は、全員に直接聞いたほうがよっぽど早いなんてことも多いのです。
私が企業の再生に入る時には、大抵の場合、すべての人と話をするところから始めます。
再生が必要な時期の経営は何かの間違いから起こっていることがほとんどなので、経営者の分析や解釈はアテにしません。
「これが問題だから、こうなった」という原因と結果を聞いても、大抵の場合、聞けば聞くほど、全く異なる問題が起きています。
そしてそのヒアリングは、1周ではわからないので、2周くらいしてやっとわかる感じでもあるのです。
また、アイデアを練る時も同じです。
アイデアというのは効率の中では生まれません。
効率というのは無駄も隙もありませんので、マニュアル・手順通りで、最短距離になります。
だいたい私は、可能な時間の9割くらいの地点まで、何も情報をまとめません。
メモは取りますが、頭の中にキーワードをため込み、最後の1割の時間で一気に融合させます。
効率という意味でいえば、徐々に完成させていくイメージがありますが、どうせ作っても最終的に全部やり直すような事が多いので、最後の最後までPowerPointなどに手をつけません。
そもそも、何か始めるときにPowerPointを開くと想像が止まるので、だいたいは手書きから始めます。
雑談をしたり
散歩をしたり
様々な仕事を平行して行ったり
様々なことをしながら、刺激を与えます。
そしてヒントを得たりしながら、熟成される時を待ちます。
一見、無駄な様々なことを行います。
そして一気に統合して完成させます。
夏休みの宿題を最終日にやるようなイメージかもしれませんが、宿題のように回答や正解が確実にあるものは、やはりコツコツやったほうが良いです。
しかし、回答や正解がない場合には、効率化を求めても意味がないのです。
手っ取り早くすることを求めがちですが、手っ取り早くすることのほうが非効率なことがたくさんあります。
急がば回れ
実はこの言葉には、深い考察が含まれているということを、私は感じています。
効率化は大切です。
でも半分くらいは疑ってみても良いでしょう。
もっと素敵なアイデアが浮かぶかもしれませんよ。