あたりまえの段取り

段取りの技術

段取りはあたりまえ!?

段取りは、
あたりまえ
のように存在しています。
つまり、空気と同じような、時には,

あたりまえ = あって、あたりまえ
あたりまえ = できて、あたりまえ

という捉え方をされる時があります。
まあ、そうなんですが、、、、

ですから、段取りをしている人を見て、
ありがとう
と思えない人が多いのです。

いや、いくら段取りをしているからといって、私に言ってくれということではなく、
世の中の段取り担当の人
に、ぜひ、ありがとうと。

もちろん、お金をもらっているから当たり前という考え方もあると思います。
嫌なら他の仕事を探せ、と思う人がいるかもしれません。

でも、

いろいろな人が社会のいろいろな部分を担って
段取りしているからこそ、
日常があるのですから。。。

バスや電車、車の運転手の方も、もちろん仕事です。
でも、あなたの段取りの一部・・・移動するということの時間を守ってくれているのです。
見積もった時間の期待に応えてくれるのです。
この見積が外れると、あなたの予定が狂います。

つまり、段取りをしなおさないといけません。
だから、ミスをするとそれだけが目立ちますが、何も起こらないと当たり前と思ってしまうのです。

私たちのミュージカルのショーも一緒です。
音響や照明さんが、もしミスをしたら、すぐにわかります。
あ、間違えた!?
会場の誰もがそれに気づきます。
当たり前のようにそこに存在していることが、仕事なのです。
間違えなくても、褒められない。
100%以上の成果は出すけれども、200%は求められていないのです。
余計なことをしすぎても、これもまた、評価されることはあまりありません。

褒められるためにやっているわけではありませんが、
それでも、段取りをしている人は、
誰かのために
という奉仕の気持ちがあってこその活動です。
その誰かという対象が、自分だったりするのです。
気持ちよく施設を使えるようにと掃除をしてくれる人もいます。
その人の対象は、施設を使う私たちです。
私たちが気持ちよく使えるよう、段取りをしてくれているのです。

社会のシステムは、段取りの上に成り立っているといえます。
ふと周りを見れば、私たちは用意されたステージの上で踊っているのです。
自分で用意することもありますが、自分だけでは用意しきれません。
ステージに上る階段くらいは用意できても、
舞台に上がって自分で照明を当てたり音量を調節することはできません。

私たちの生活がどのように段取られているのかに注目をして、
段取りしている人を労う気持ちを持って接すれば、
一日がとても幸せな気持ちになるに違いありません。