失敗は、数えられない
あなたは、失敗の数を数えることができるでしょうか。
きっと誰もが、数えることができないはずです。
それは、
思い出したどのことが失敗なのか、そうでないのか、
その判断がつかないからです。
そして、
多くの失敗は覚えていないのです。
その瞬間には、いろいろと感情の大きな揺れがあります。
それまでに感じたことのない感情が生まれ、コントロールしきれないほどの情動に困るかもしれません。
これまでの最大の失敗だ
そう思うこともあるでしょう。
最悪だ、もう立ち直れない
そんな夜を過ごしたことが何度あるでしょうか。
それでも私たちは、失敗の数をすべて数えることができないのです。
なぜなら、忘れてしまうからです。
忘れてしまうことが、悪いことではないことだってありますよね。
仕切り直しをするタイミング
それでも忘れられない失敗が、誰にでもあることでしょう。
思い返せば、最初は小さな失敗でした。
その失敗は、失敗と受け止めることができなかったのかもしれません。
見て見ぬフリをして、次の失敗をします。
そして、気づいたら、小さな傷が大きな傷になっていて、傷みに変わってしまうような時です。
失敗をした時、いろいろな人が助けてくれることもあります。
大丈夫だよ、仕方ないよ、次がんばれよ
でも、そんな話に、耳を傾けられない時があります。
心ではそう思っているのに、素直に受け止めきれないのです。
受け止めると自分の中に壊れてしまうものがあるから。
だから、自分の思い通りに行かなかったがばかりに、何かのせいにし始めます。
自分は悪くないんだ
そうやって、だんだん、言い訳をしはじめ、失敗をした自分が被害者であるかのような状態になっていきます。
最初に失敗を認め、仕切り直しが出来なかったばかりに、もう後戻りができません。
1歩なら、1歩戻ればよかったのに、
10歩進んでしまったばかりに、10歩戻らなくてはなりません。
そして思うのです。
1歩くらい戻ったって、もう意味がない。
そして泥沼のように深く、複雑さを増していくのです。
セカンドチャンスを自ら潰す
誰にでも、何度でもチャンスはあると思います。
失敗が失敗とカウントできないのは、新しい失敗を生み出せた成長があるのです。
失敗は成功のもと、なんていいますよね。
失敗を成長に変えるためには、セカンドチャンスを信じるしかないのです。
私がベンチャー企業の経営者をしていた20代のころのこと。
1億円を超える出資を受けて、バリバリのITベンチャーを経営していました。
ITバブル全盛期のころ、気が大きくなっていたのは間違いありません。
振り返れば、そう感じることもありますよね。
そんなある日、ITバブルがはじけ、大株主から会社の合併を提案されました。
周囲の人は私を持ち上げてくれていたし、メディアにもたびたび登場し、テレビの取材も受けた直後でした。
だから、そんな提案は受け入れるわけもありません。
そんな私は、自分を正当化し、そんな提案は間違っていると他の株主を説得にまわっていました。
もちろん、いま振り返れば、その株主の提案は間違っていないと断言できます。
でも、その時の私は、知識も乏しく、経験も浅かったのです。
そして、ある株主の役員の方と話をしていた時に、こんな話を私にしてくれたのです。
あなたが言うことは、確かによくわかる。
創業者としても経営者としても、そういう気持ちになることも。
そしてこれからうまくいくかどうかも、やってみないとわからない。
でも、
冷静に、まわりをよく見渡してみてほしい。
あなたが経営をしている世界、そしてこの社会環境を見て、多くの人はあなたに同情するかもしれない。
でも同時にそのほとんどの人は、やはりこの株主が言っていることが最善だと思うだろう。もちろんこのまま、主張を続け抵抗をし続ける方法もある。
でもいずれ、
いまあなたを守ってくれる仲間は、かばいきれなくなる。
不本意にも、敵にならざるをえなくなるかもしれない。
あなたは自分が正しいことを言っているつもりかもしれないが、正しいからといって最善の判断だとは限らない。
ここまま正しさを主張し続ければ、あなたは自らセカンドチャンスを潰す。
まだ、20代だ。
きっと次のチャンスは来るはずだ。自分を信じろ。
話を聞いた瞬間は、その話を受けきれませんでした。
でも、握手をして別れ、電車に乗って椅子に座った瞬間に、チカラが抜け、涙が止まらなくなったのを覚えています。
自分が、自分の目の前に現れる体験
その後、事業の売却や会社の合併を全社員に伝えることになります。
当時、社員は30人を越えていたので、まずはひとりづつ30分15時間の面談をし、その後に納得がいくまでひとりづつ1時間も2時間も話をしました。
そして、あるひとりの社員が、社内に向けて私の陰謀説を唱え、会社と戦おうとする動きが出ました。
まるで、少し前の自分を見ているようでした。
私は真摯に受け止め、できる限りの話をしました。
ですが、彼はどんどん勢いに乗ってきます。
他のスタッフも、どんどん乗っていきます。
ですが私は、ひとりづつ精一杯の話をし、そして静かに見守っていました。
私は、経営者として言い訳ができなかったからです。
そして、ひとりづつ、その彼の言い分がおかしいことに気づき、最後には彼がひとりになっていました。
それはまるで、その後の私を見ているようでした。
彼は、自分の主張を聞き入れない周囲を敵にまわし、最初に会社から出ていきました。
自分が、自分の前に現れたその体験は、とても不思議な時間でした。
私も不本意でしたが、最後はその彼以外のすべての人と握手をして別れることができました。
いつでも、再チャレンジできる
当時、自分でも、どこかに、落ちていく感覚がありました。
それに抵抗していた自分の姿も、見えていたのかもしれません。
アドバイスを聞いて、暴れるのをやめたら、落ちていく速度が遅くなり、
そして、
落ちてゆく穴の底の部分にタッチをして、
少しづつ浮上していくような感覚を覚えています。
あのとき、暴れるのをやめなかったら、
自分はどうなっていたんだろう。
それを、想像するだけでも身震いがします。
きっと、あるいくつかのチャンスは失っていたかもしれません。
誰かのトップになる人、
責任を背負う人、
いや、、、
そういうことのない「誰も」が・・・
多くの失敗をします。
でも、信じましょう。
誰にでも、セカンドチャンスは平等にあるのです。
どんな人にでも。
その時にできる、
いろいろなチャンスが。
だから、セカンドチャンスを信じて、早めに再スタートをする勇気が必要です。
チャンスはいつでも誰にでもありますが、チャンスの種類が変わるのです。
小さい失敗だったといえるのです。
当時の私には、立ち上がれないほどの失敗でした。
大雨の中、その雨は降り止むようには思えませんでした。
でも、止まない雨はないのです。
そして、雨が降ったあとには、虹が出るはずです。
私には、思いもよらない無数のチャンスに巡り会うことができました。
いま、失敗を受け止めきれない、多くの方に、この想いが届きますように。