けん玉
木コマ
お手玉
たこあげ
そんな昔の遊び、うちの子は夢中になって遊んでいます。
これは単に、昔の遊び懐かしむためではありません。
昔の遊びは、感性を育てることができるのです。
けん玉をしたことがありますか?
いくら本を読んでも、原理や理屈を知っても、玉を乗せることなどできません。
いくら勉強をしても、けん玉で遊ぶことはできないのです。
練習をし続けるしかありません。
そして、練習すればできるようになります。
この練習の間、私たちは感性を磨き続けているのです。
けん玉が出来る人が、運動能力が高いわけでもありません。
あらゆるセンサーの感度を高め、心を研ぎ澄まます。
大変な集中力が必要です。
重心などのバランスも必要ですし、
空間的な認識能力も必要でしょう。
この全ては、感性から生まれます。
人にはあらゆる場所に感覚のセンサーがあり、そのセンサーの1つ1つから膨大な情報を受け取っています。
集中するというのは、1つに意識を向けることでもありますが、
様々な感覚の中から、他の感覚を消すように意識を向けることでもあります。
感覚を多く拾っている感性の高い人には、それができます。
様々な感覚を常に受け取っている人だからこそ、受け取る情報を無意識にコントロールできるのです。
バランスも感覚の1つであり、それによって「釣り合いを取る」という感性が働きます。
けん玉をする時には、見た目の視覚以外にも、平衡感覚などが必要になりますよね。
それ以外に、玉を上に上げるために必要な筋肉の動きの感覚などもあります。
一般的に知覚のようなセンサー、そしてその動作はAI(人工知能)にも可能になると言われています。
じゃあ、AIにもけん玉はできるんじゃないのか?
と思うかもしれません。
もちろん、けん玉の動きを再現することはできるでしょう。
でも、AIは、けん玉をしようとする動機がないので、可能な動きだけを繰り返すでしょう。
人がけん玉をする時にはどんなことを考えならやるでしょうか。
こんなところに乗せられるかな・・・
歌のリズムに合わせて載せ替えたら面白いな・・・
驚かせてみたいなぁ・・・
という、自分なりの意思を持って、その想像で動きを変えます。
その意思が、その先(時間)の想像をして、
できるかできないかに関わらず、それをチャレンジしてみる
といったような行動もするのが、人ならではのことです。
では、逆を返したらどうでしょうか。
できることを
決められたように
繰り返す
それはきっと、ロボットができることなのです。
仕事でも生活でも、こういう姿勢の人が多くいます。
でも、
失敗して、一緒に笑えるのも、人なのです。
できるようにチャレンジするのも、人だからじゃないでしょうか。
これらのすべての元には感性があります。
チャレンジも
想像も
感情も
すべてに感性が繋がっています。
理屈しかない状態は、人の成長をも、止めます。
どうせやっても無理
そうやって、感性が受け取ることすら止めます。
感性がうまく動いている人は、
出来たときの高揚感
よっしゃー!という感情
などが想像できるのです。
その感覚を感性で味わいたい、感性を震わせたい・・・・だから、チャレンジしよう!と思うのです。
昔の遊びは、五感を使ったリアルで単純な遊びが多いので、頑張ればできるようになります。
その
できた時に感性が震える体験
こそが、大切なのです。
ゲームのようにプログラムされたストーリーの中で達成されるものとは、全く違う感覚です。
幼少の頃に、こうした昔の遊びに夢中になることは、とても大切なことではないかと思うのです。