安全対策をし過ぎると、人はロボット化する 〜五感で感覚を磨くと、危険も察知もできる

安全対策には、限度があるのでしょうか。
ホームドアをつけたら事故が少なくなったというニュースを見て、
だったら日本じゅうの鉄道の駅につけるのか?バスにも必要になるんだろうか?
そんなことを感じてしまい、若干、怖くなります。
あらゆるところに柵をつけるのですよね。

その安全対策は誰のため?

道路で言えばガードレールかもしれませんが、あれはどちらかというと車が歩道に突っ込まないようにという意味が強いと思います。
でも駅の安全柵は、人間が線路に落ちないようにというものです。
先日、帰宅ラッシュの時間に、東京の都営大江戸線から京急線で品川に行こうと、泉岳寺駅で乗り換えをしました。
電車を降りようとしても、ホームに人が溢れかえっていて、降りることすらできません。よく見てみると、ホームは極端に狭く、およそ3ー4メートルくらいしかなく、反対側の電車待ちの人が待っているのです。
こんな場所ではホームドアは付けられません。でもこういう場所ほど必要な機能でしょう。
きっと何らかの事故は年間でも起こっているのでしょう。
その昔は、そもそもそれほど人が多くもなかったでしょうから、ホームもそれほど広い必要がなかったのかもしれません。
また、危険があっても、人がそれぞれに事故を未然に防ぐセーフティネットがあったはずです。
でも、誰かが防ぐという機能も、薄れてしまっています。しかも、みんなスマホに忙しいので、周囲の危険を察知するどころは、自分すらも線路に転落する恐れがあるわけです。
子供やお年寄り、障がい者の方にとっての柵かと思っていたのですが、もしかしたら、スマホに夢中の人のための柵なのかもしれません。。。
危険を察知する感覚が薄れることと比例して事故が起こり、安全対策が過剰になっていく傾向があるようにさえ感じます。
その安全対策がされればされるほど、危険を察知する必要がなくなり、さらに気が緩み、感覚が鈍くなっていく悪いスパイラルが始まっています。
実は、危険な場所ほど事故が起こらなく、安全そうに見える場所ほど事故が起こったりもします。
木から降りる時の事故は、高いところよりも低い場所で起こる確率が多く、上る時よりも下りる方が確率が高くなります。
気が緩むからです。
家に帰るまでが遠足だよ、というアレです。
どうしたものでしょうか。。。
このままでは、私たちは柵の中で生活をしているようなものです。
そして、感覚を使う必要のない世界になってしまいます。
感覚を使わないで存在できるのは、ロボットです。
つまりロボット化していくのです。。。
怖いですね。。。

先日、九州を子供と鉄道の旅をした時に、人吉駅にあった鉄道ミュージアムに寄りました。
そこは、子供が乗れるミニチュアの電車が走っていました。

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線路との間には柵がありません。
電車が走る前に、こんな場内アナウンスがありました。
この施設では、あえて線路との間に柵を設けていません。電車の楽しみや安全性、そして危険なところを感じてもらうことも、この施設の目的です。ですから施設内の線路も、必ず安全確認をして踏切を渡ってください。危険な横断などをされた場合、スタッフが注意をさせいただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
これを聞いて、素晴らしいなと感じました。
安全対策は、危険を学ぶことでもあります。
脅しのような看板や文字だけでは、なかなか危険を避けようという行動には変わりません。
安全対策の段取りは、感覚を磨くことでもあると思います。
察知するというのは五感でもないかもしれませんが、それでも五感を磨くことで感覚を研ぎ澄ますことにつながると思います。
最も効果的な安全対策の1つは、危険を察知するためのプチ危険経験と感覚を磨くことだと思います。

 

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