技術の進歩はめざましく、人の想像を超え、時には行き過ぎることもあります。
残念ながら、人間は行き過ぎまでを具体的に想像することができませんでした。
地球温暖化も、金融第一主義の経済も、様々な事件や事故も。。。
ビジネスの現場でも、それが行き過ぎなのかそうでないのかを判断するのは難しいです。
でも1つだけ、そのラインを測るための高感度センサーを私たちが持っています
不自然さを感知する感情のセンサー
私たちは日頃、何かの物差しとそのモノとのギャップを測っています。
ものさしの幅は人によっても違いますし、対象となるモノを置く位置によってもギャップの幅が変わります。
ですから、人それぞれに、あらゆるモノに対して、自然さ/不自然さを図る基準も異なるのです。
そしてそのギャップも、全てが可視化できるものでもありません。
数字で出したところで、メモリが異なっていたり、単位も違うことがほとんどです。
どこかしっくりこないこのままいくと何か不安何か理屈じゃなく違和感を感じる
私はビジネスで、とても感情の反応を大切にしています。
理屈や数字が良くても、うまくいかないことがよくあります。
むしろ、数字をあてにして、うまくいかないことの方が多いのではないでしょうか。
このなんとなくという感覚がとても重要なのです。
このセンサーは、感情です。
好きとか嫌いとかおかしいとかしっくりくるとか
実は全て感情の情報です。
それが数字であっても、感情の情報がその数字を正しいと自分に理解させるのです。
ですから、間違っていると言う情報も、感情が知らせてくれるのです。
ただこの感情は、間違っているであろうと言う事は知らせてくれますが、どう間違っているかを教えてくれればはしません。
私もとても大切にしているのは、
不自然さを感知する感情のセンサー
です。
条件や計算で出されるものではない、感覚です。
ここで重要なのは、
何が自然か
ということです。
自然がわからなければ、不自然に気づくことがありません。
種を植えれば芽が出ます。花は咲き散ります。皿は割れます。使えばなくなります。
自然というものを理解するのは、とても難しいことですが、人工的なものを想像すれば、その反対だということで理解できるかもしれません。
急激な変化や、ありえない動き電気やガソリンでしか動かない装置森の中にいるペッパー(ロボット)
逆を発想すれば、自然が何かも少しは理解できます。
人間が作り上げた人工的な社会の中では、自然というものに触れることが滅多にありません。でも欲していますが、今の生活では便利な代替え品がたくさんです。
自然と触れていないと、感覚的に理解するということは必要なくなっていきます。
そして、感情がどんどん反応しなくなってきているのです。
ですから、センサーの感度がどんどん鈍感になっていき、感覚に頼れなくなってしまうのです。
感覚に頼れないと、どうなるのか。
人は理屈で自分を納得させようとします。
数字ではこうなってるから昔からこうしているからみんなやってるから
つまり、自分を信じられないのです。
自分を信じると言う事はどういうことか
私はそれは、自然を信じることなのだと思うのです。
自己信頼感、自己肯定感という心理学用語がありますが、自分を信じられるかどうかは、何をするにも大切なことです。
基準があれば、自分を信頼できるのです。
その信頼の基準は、自然と言う基準が最も適しているのではないかと私は考えるのです。
感情に素直になって生きることに、怯えない。
不自然さを伝えることは難しいことです。
目的と手段が入れ違っていたり循環がなく、滞っていたり意見が偏っていたり
理屈を積み上げればすぐに倒されそうになります。
でも、一方でこの自然を覆そうという人は、自然に怯えているのです。理屈の通じないものは、予想ができないので、怖いのです。
私たちには、感覚という素晴らしいセンサーがあります。
そのセンサーに意識をむけてみましょう。
きっと、私たちを取り巻くあらゆるモノやコトが、新しい視点で見ることができるはずです。
AI(人工知能)で将来なくなる職業とかで世間を煽っているメディアが多くありますが、この感覚のセンサーはプログラムで再現できるものではありません。
あくまでも知能(intelligence)ですから、感情(emotion)は別です。
私たちの未来は、感情に向き合っていくことで作り上げられるのではないでしょうか。
ロボットと戦うのではなく、人だからできる感情に意識を向けていきましょう。