正解は、いつも自分の外側?
幼少から学びの時間では、いつも答えを求めるように教えられてきた。
どこかに正解があり、
その正解を全て当てられると成績が良いとされる。いつもどこかに正解があり、
それは自分の思考や心の中にはない。正しいものは自分以外にあるんだと。
平均や偏差という普通を教えられ、
100点以上の答えはない。
点数のつけられない芸術でさえ、
評価をされる。
自分の中に浮かんだその感情、感覚。
それが否定をされると自分を信じられなくなる。
自分を肯定することができなくなり、自分以外に答えを求める。
相手が求める答えを見つけようと必死になり、自分をも見失う。
常に誰かを気にし、期待に応えられるように生きることになる。
正解が常に変わることを知るのは社会に出てから。
正解は、外の世界の、どこにもなかった
20年近く正解を求めてきた結果、正解はないことに気づく。
正解はないから、自分の中に作っていくしかない。
でも、作り方は習っていない。
美しいと感じる基準が全ての人で異なり、
その日の気分で変わり、
年齢や経験でも変わっていく。
変わりゆく正解を受け止められない
変わらない自分がしがみつく。
人との違いを恐れず、
変化を恐れることはない。
そもそも正解もなければ、
正解が変わらないこともない。
自分が感じたこと。
それは自分にとって正解であり基準だ。
その感性は誰にも否定されるべきものではない。
だからこそ、他人の感性も否定すべきではない。
全ての基準は自分の中に。