私は、英語の語学習得を諦めました。
え?諦めたの?
そうです、完全に諦めました。
数年前に、諦めました。
英語の勉強をしなくちゃ、、、
すぐに始めないと
でも前に三日坊主になったし、
本は何冊も買ったし
あなたにもありますか?
ずっと心の中に
やらなくちゃ
やらなくちゃ
やらなくちゃ
と、呪文のように唱えられて、知らないうちに自分に脅迫のように焦りを与えていることです。
私が高校生くらいの頃からでしょうか。
英語が話せないと、将来は生きていけない
という脅迫が、世間で強くなってきました。
その感じは、日々強くなる傾向にあります。
幼少から英語を習わせ、学校でも必修科目になってきて、採用や転職でも英語英語と言われています。
いや、そんなはずはない
必ず同時通訳を機械がやってくれる時代がくる
と思いながらも、
やっぱり自分のニュアンスまでは伝わらないだろうなぁ
と弱気になって、また本を買ったり・・・
大学や大学院への進学を考えたときも、やっぱり英語のテストがあるとかで、
ああ、やっぱり英語は社会の必須なのか
と感じてみたり。。。。
いつも、英語習得が頭の中から離れません。
あなたは英語ができない人
できない自分に、劣等感が植え付けられていくのがわかります。
だからむしろ、やりたくなくなっていく自分もいます。
でも、いつも、
やらなくちゃ
であって、
やりたい
という気持ちが強く湧き出たことがありません。
やらなくちゃ は、 義務
やりたい は、 要望
僕は義務という言葉にどうもアレルギーがあるようです。
やれ!と言われるとやりたくなくなる、天邪鬼(あまのじゃく)です。
そして英語がマトモに話せないまま40歳になりました。
そんな40歳の時に、これからの10年を計画しました。
(30歳の時にも、これからの10年という計画をしました)
そこにもやっぱり英語が登場します。
日本が経済的に難しくなったり
戦争をしかける国になったら、
日本から脱出する日が来るのだろうか
やっぱり英語なのかなぁと考えていました。
でも、この時は違いました。
40歳は、人生の折り返し地点。
ここから何か特別な新しい技術をつけるよりも、これまでの経験をもっと活かしていけないか、と。
新しいことを習得するには、お金も時間もかかる。
英語を習得する時間とお金があったら、他に何ができるだろうか
ふと、私にそんな疑問が落ちてきました。
ちょうど育児に大変な時期だったので、時間に余裕はありませんでした。
もっと子どもとの時間があったらいいなぁ
夫婦で楽しい時間を過ごしたいなぁ
畑もやりたいし、もっと社会事業もしたいし、あれもこれも、、、
やりたいことがたくさん出てきました。
英語よりもやりたいことがたくさん出てきました。
英語が話せても、それじゃ英語圏の人と同じになるだけ
しかも、日本語も同じで、文化がわからないと通じないことも多い
しかししかも、英語でオレ、何を話するんだ?
日常会話くらいなら、1年も住んでりゃ何とかなるだろうし。
そして、バイリンガルの友人に相談しました。
自分:英語を勉強するのやめようと思うんだけど
友人:べつにいいんじゃない?で、なにをするの?
自分:英語より自分だけにしかできない特異性を追求したほうがいい気がして。
友人:そりゃ、英語より大切だね。だって、英語は誰でも話せるし翻訳できる人もいる。特異性は勉強で身につけられるものじゃないからね。通訳で伝わらないというけれど、ちゃんとお互いを理解してくれる通訳がつけばちゃんと単語は選んでくれるから、大丈夫だよ。海外のスポーツマンでも多いし。
僕の中では、これで決まりました。
英語の学びをやめることを。
僕にとって英語は、やっぱりいつも2番目以下でした。
1番やりたいことというのは、いつもそのタイミング毎にあるけれど、
いつも2番目の英語を飛ばして、その時のやりたいことが1番になっていく。
英語は義務や保険であって、やりたいことではなかったということを。
その「いつかやらなければならない」という焦りに終われて、いつもやりたいことと天秤にかけていたのです。
家に帰ると、すべての英語の本を捨てました。
心の中が、スッキリして、軽くなりました。
それから、僕の中で英語呪縛はなくなりました。
最近では、英語をほとんど話せないスポーツ選手が、独特のインタビューをするのを見て、すごいなぁと感心しっぱなし。
それを見て毎回思うのです。
やっぱり、自分はこれで良かったんだ。
と。
ーーー
これは、英語習得に意味がないという話ではありません。
誰にも、
「いつかやらなければならない」という
心理的な負担に縛られている
脅迫めいた呪縛
があるんじゃないかと思います。
そして、
いろいろなことをやるよりも、
やらないことを選んで置いておき、
やることに集中をする
ことが大切なのだと思うのです。
もし僕が、もっと若い頃にある程度英語が話せたら、選択がもっと違っていたと思います。
もっと話したいと思う、原体験がなかったのでしょう。
海外に出たのも22歳で初めてだったし、27ー28歳で歳の頃はシリコンバレーと行き来し、ピースボートで地球一周したのは30歳。
僕の中では、英語が盛り上がった時期はあったし、英語ができたら日本だけでなく世界を相手にベンチャー企業を経営できてもっとワクワクしたかも!?とは思います。
でもそれも妄想。
その妄想だって、英語が話せる人と組んでビジネスをしたらいいんだと割り切れました。
あればいい、とは思ったけど、どうしてもやりたい にはならなかった。
そこで重要なのは、人の特異性。
やっぱり、
自分でしかできないことを見つけていくのが、楽しい人生じゃない!?
って強く思ったのです。
専門能力というのは、それを専門にする人がいるので、その人と組めば良いのです。
士業がそれであるように。
それに気づけてとても良かったです。
【今日の+D(段取リズムの思考・視点)】
やらなければならないこと よりも、 やりたいことを選ぼう
ワクワクしているだけで、 だれかが方法を運んでくれるかもしれません。 運やタイミングがやってくるかもしれません。
ワクワクしていると伝染します。 いろいろなエネルギーが放出されているので、周囲に影響します。
楽しそうな人の周りに、人が集まってきます。 だんだん支えたくなります。
私もそうやって、ワクワクする人達をいろいろな段取りでサポートしています。
夢を叶える段取りは、ワクワクすることです。