知らない間に、知らない場所に行き着いてしまう
年齢を重ねると、だんだんと教えることが増えてきます。
持っている知識や経験、それらを整理する時間もなく、ただ日々が過ぎていくことが多いですよね。
私は定期的にリセットするための時間を作っています。
短い時には3日、長い時には1年以上。
いまもまた、ちょうど6ヶ月目に入ったリセット期間です。
人生50年経っても、まだ50年残っているよ、と突きつけられる人生100年時代。
これ、まじで脅迫ですよ。
どうやって生きていけばいいのか?って考えちゃいます。
だから僕はいま、こんな意識で自分を再構成しなおしています。
これまでの50年の経験で、あと50年は生きられない。
人は、心地の良い場所に居ようとするし、だんだんと苦労がなくとも、できてしまうようになっていくので、成長は止まっていく。
自分も社会も、すべてが変化していく中で、何となく変わっていくと、知らない間に、知らない場所に行き着いてしまう。
そして、自分がどうしたらいいのかわからなくなってしまう。
だから、今自分がどこに立っているのか、周りの風景を見て、現在の視点から過去を見直して、自分が何を求められ、何に向かっていくのかを見直していかなくてはならない。
だから、ちゃんとリセットしないと、前のままの意識で自分や社会を認識し、そして知らない場所に行き着いてしまうのです。
誰にも注意されなくなる
そんな迷子のようになってしまいそうになっても、年齢を重ねると、誰も注意してくれなくなります。
年齢に加えて、チームのトップなどのポジションという厄介な段差が、そのアドバイスを遮ってしまいます。
「名前の呼び捨て」が、
「さん」になり、
「名字のさん」になっていく
そろそろ戻したいのだけれど、いろいろと難しい。汗
こちらは全く意識していなくても、だんだん、距離感が出てしまうもの。
そして、誰にも注意されず、「これでいいのか?」という疑問に答えてくれる人も少なくなり、徐々に現状を受け入れざるをえなくなっていきます。
47歳でスケボーをはじめる
僕はステージに乗ったことがないのだけれど、コモンビートに参加する仲間も、こんな気持ちの人も多いのだと思います。
18歳以上の参加資格だから、参加者は全員フラットな関係。
動きひとつとっても、若い仲間のほうが、すべてがずっと上手です。
いくら社会的に地位があったとしても、舞台に立てば、フラット。
ニートに大企業の役員がダンスを教わる姿を見て、とっても微笑ましいわけです。
そんな僕も、例の感染症拡大で外出制限が出てから始めたのがスケボー。
47歳から始めるには危険すぎるスポーツですが、9歳の息子が興味を持ったので、一緒に始めてみることにしたのです。
スタートは一緒ですが、子どもはとっくに先を行かれ、トリック(技)をどんどん覚えていきます。
私はというと、ドロップインというスタートですらうまく行かず、2度の肩からの落下で五十肩となり、1年以上苦しむはめに・・・
カメのスピードではありますが、それでも徐々に上達をしていき、子どもの数ヶ月遅れで達成できたトリックに、「ようやくドロップインができたよ」と嬉しがる父親(わたし)の姿。
大人になると、「成長」を感じるよりも老化で衰退する体や脳に嫌気がさします。
だから、成長している感って、ものすごく嬉しいわけです。
5歳くらいの子がスイスイ出来ることも、全くできない。
必至になって、ついていき、「もっと体重が中心にないと」と注意される始末なのですが、これがちゃんと受け入れられるかも、とっても自分にとって新鮮な刺激なんですよね。
そんな今日も、久しぶりのスケートパークで、またひとつ、できたことが増えたのを、こどもの「良かったね」と言ってもらえるわけです。
久しぶりのスケボーに、太ももの筋肉は、笑いっぱなしですが・・・
大人も頑張っている、って姿は、子どもにもとっても大切だと思います。
がむしゃらになるって、いいですよね。
これもまた、学び直しみたいなもの。成長ってすばらしい。