駄は、悪?
無駄な仕事
無駄遣い
無駄にしない
無駄な努力
無駄なお金
どうやら、無駄という言葉は、「悪」のようです。
本のタイトルを見れば、「無駄をなくす」というものばかり。
みんな、無駄というものを、かなり恐れているようです。
どうしても、捨てたいもののようです。
その嫌われ者の無駄とは、何でしょうか。
無駄(むだ)の意味
1 役に立たないこと。それをしただけのかいがないこと。また、そのさま。無益。
(出典:デジタル大辞泉)
たしかに、それは恐ろしい。
本当にそうなら。。。
無駄をなくしたら何が残るのか
では、無駄をなくしたら、何が残るのでしょう。
役に立たないことが無駄なのであれば、役に立つことだけをすれば良い、ということなのでしょうか。
無駄のない考えや動きをする、つまり、ロボットですね。
ロボットというと工場で働く機械を想像するかもしれませんが、いまや、ペッパーもいれば、人工知能もあります。
人工知能が盛んに研究されていますが、これもまた無駄のない思考の究極なのでしょう。
私たちは、無駄を省いて、どこへ向かおうとしているのでしょうか。
無駄と価値の境はどこにあるの?
無駄と無駄でないものの境は、どこにあるのでしょうか?
人間は分別をつけたがりますが、それほどキッチリと線引きをすることなどできません。
世界的に有名なカイゼンでは、無駄を「付加価値を高めない各種現象や結果」としています。
つまり、
無駄とは、価値を高めないものであり、その無駄は価値のないもの
です。
価値とは何でしょうか。
価値(かち) の意味
1 その事物がどのくらい役に立つかの度合い。値打ち。「読む価値のある本」「価値のある一勝」
2 経済学で、商品が持つ交換価値の本質とされるもの。→価値学説
3 哲学で、あらゆる個人・社会を通じて常に承認されるべき絶対性をもった性質。真・善・美など。
(出典:デジタル大辞泉)
役に立つものは価値ということのようです。
つまり、無駄と価値は反対の意味なのですね。
無駄と価値の境目を見極める必要がある、という意味はよくわかります。
でも、本当に見極められるのでしょうか。
無駄「だけ」を省くことができるのでしょうか。
無駄と思っていたものに価値があったり、価値があると思っていたものが無駄だったり。
人生も、価値があると思ってみんな生きています。
でも無駄だと思った瞬間に、それまでの時間には価値がなくなるのでしょうか?
そもそも、無駄と価値を線引きすることなんて、できないんのではないでしょうか。
無駄の分別ばかりしていると、必要なものまで捨てる
これは無駄、これは価値
仕事でも人生でも、そんな分別ばかりに囚われていると、ついつい価値まで捨ててしまうことになります。
見た目には無駄のように思えることも、実はそこに価値が含まれていることもあります。
たとえば、手紙。
文字で情報を伝えるというだけなら、手書きで書く必要はなく、むしろメールのほうが早く到達します。
でも、いまは、手書きで書くことも見直されてきています。
相手を想像して、
紙と封筒を選んで、
ペンを選んで、
手で文字を書き、
乾いたのを確認して、
封筒に入るように折り、
封筒に封をして
宛名と差出人を書き、
切手を貼り
ポストに投函し、
数日の時間を経て
相手の手元にとどきます。
メールでは、一瞬の出来事です。
効率の面からいえば、とても早く「文字情報」は届きます。
でも手紙では、「文字以上の情報」が届きませんか?
文字は何か情報を伝えるツールの1つだと思います。
でも伝える情報が文字だけで伝わることはありません。
その情報に含みたい様々な文字では伝えきれない「感情情報」など、文字というものだけでは伝わらない様々なことがあります。
メールもブログも、効率化や便利という意味では生活に欠かせないものになりました。
しかし、手紙から省かれたものも、多くあるのです。
手紙は無駄だ、といって分別をして無駄なものを捨てると、本当に伝えたいものを伝えたいという気持ちまで捨ててしまうことになりかねません。
手紙というものに触れることなくスマホでメールしか知らないと、文字情報だけで伝わるという誤解や過信が生まれることになります。
この世から手紙が無くなるということはきっとないでしょう。
本当に伝えたいことは、文字ではないのですから。
段取りは無駄をなくすことではない
段取りというと、無駄を無くすことのように感じられるかもしれません。
仕事の世界では、そう教えている人も少なくありません。
最短の時間で、
最少の労力やお金で、
最高の価値を得られるように努力するもの
もちろん、このような理想を掲げるのは良いですし、仕事においては意識していくことは大切です。
でも段取りというものは、このような意識はするものの、本当の意味での最短の時間、最少のコスト、最高の価値とは何か?を常に考え続けるためにあるものです。
つまり、見えるもの
を分別して、無駄をなくし効率を求めるだけのものではありません。
段取りは、本当の目的に到達するためにあります。
目的を達成するためであれば、無駄だと言われているものにも向き合わなければなりません。
単に無駄を省くと、そこには穴が空くだけです。
ある人の価値観で無駄だと思っていても、ある人からみれば価値のあるモノやコトだったりするものです。
ですから、無駄を省くことは段取りではないのです。
所詮、他人から見れば人の人生は無駄だらけです。
それを無駄と言い切ってしまって、どんな段取りができるのでしょうか。
無駄を省いたロボットのような人間社会や人間関係、
無駄を省いた面白みのないゴールなんて、
きっと誰も求めていないのではないでしょうか。